恋愛救助隊 > 恋は病、だから心も体もきしみます > 病気なんだからイロイロ不具合が起こって当然!
恋は病、だから心も体もきしみます病気なんだからイロイロ不具合が起こって当然!
どうしてこんなに切ないの?
どうしてこんなに苦しいの?
わたしの心はどうなっているの?
恋愛中の心は、つねにキズついている状態だと思います……。
人は病気になると、健康な時とは「身体も心」もちがった状態になります。
自分でその「症状」をコントロールできなくなり、
「苦痛」や「不快感」が生じ、「障害」にもなります。
そして時として病気は、人に死をももたらします。
……「恋は病」と言われますが、実に「病気」に似ていることでしょう。
むしろ、「恋」というのは「病気」なんだ、
と理解したほうが楽になるかもしれません。
「お医者さまでも、草津の湯でも、恋の病いは 治りゃせぬ」
という謡を聞いたことのある人は多いでしょう。
それほど昔から「恋」は「病気」として認識されていたのです。
映画のセリフにもあります。イタリア映画「イル・ポスティーノ」の中でのやりとりです。
「私は恋をしました」
「それは結構だ。治せる」
「治すなんてとんでもない。治りたくない。
私は恋をしたんです」
ここでも、「恋」は「病気」として表わされています。
もうひとつ…
「恋はするものではない。恋は落ちるものなのだ」
というセリフはご存知でしょうか。
英語でも、「恋する」ということを
「fall in love」=「恋に落ちる」と言います。
なるほど、恋も病気も「する」ものではないのです。
おそらく、それはみなさんも体験、そして実感していることなのでしょう。
わたし自身、恋をする=人を好きになる、という素晴らしい行為であるはずなのに
人を好きになると、とても切ない気分を味わいます。
何度、恋をしても(恋におちても)、それは変わりません。
最初の頃は、それを上手にコントロールできませんでした。
「好きだ」という、甘い、うずくような感覚と同時、あるいは
背中合わせにある、胸が切なく、しめつけられるようなツラさ…
そして、それをもてあまし、
「人格崩壊」の一歩手前で日常生活をなんとかこなす。
そんな恋もありました。
とまどっていたのだと思います。
なんども恋を経験するうちに、
「これは絶対病気なんだ!」
と思うようになりました。
風邪(病気)なのだから、不具合は自分のせいではありません。
「私」ではなく、「病気」が悪いんです。
風邪をひいた時のように対処すればいいんです。
時に、未知のインフルエンザ級の場合もありますけど、
どこかで、「これは病気だ」と認識する自分を作っています。
「恋は病気」と思うことで、よいことがあります。
まず、自分を客観視できます。
「恋愛」という激流に巻き込まれている時、これはとても大切なことです。
恋愛救助隊に応援クリック!
※ランキング参加中。お役に立てたならポチッとよろしく